四月の桜も新緑の初々しくも勢いに満ちた若葉が萌える季節になりましたね。
我が家のささやかな庭や鉢植えにも若々しい命がぐんぐん育っています。
実は、この庭木も、元気になったのは今年からなんです。
今年の冬まで、なんとか庭木や鉢植えの観葉植物が元気になるように、自分でいろいろやってみたことや、園芸の専門家に解決法を聞いてみたことなどを中心に、今回書いてみたいと思います。
異変の前兆は2年前から
実は、うちの庭は、引っ越した時から前の持ち主さんが手入れされていたものを、そのままにしています。
大きな松や杉の木に庭石や石灯篭があって、それなりに趣もあったので結構気に入っていました。
でも、引っ越してきて2年目のある日、妻が首元に赤い点々ができて痒~い!というので、近くのお医者さんに診てもらい、その原因がチャドクガだったんです。
早速、疑わしい自宅の生垣にしてあったサザンカを見て回ると、数か所にチャドクガの幼虫が見つかりました。
現物の写真は、不快感を感じられる方もおられるかも?なので、掲載はひかえておきます。
【チャドクガとは】
チャドクガに触れると赤い湿疹ができるのは、このチャドクガが持っている毒針毛と呼ばれる、わずか0.03mmから0.2mmほどの毒の針※がささることによるものです。幼虫の毛虫に生えている長い毛ではありません。
※毒の針の長さは、国立予防衛生研究所衛生昆虫部 細谷順子著「衞 生 動 物 1956 年 Vo ].7No .2『チ ヤ ドク ガ に 関 す る 二 三 の 観 寮』」を参照
チャドクガは、4~6月、8~9月の年2回発生し、この毒針毛にやられると個人差もありますが、だいたい3カ月前後は痒~い思いをします。
また、見た目の赤い発疹も気分的にブルーになってしまいますね。
◇◇◇7つのチャドクガの超厄介なところ◇◇◇
・毒針毛が超小さく、その数はさなぎになる前の幼虫だと、なんと驚きの50万本。
・毒針毛は、風が吹くとチャドクガから飛んでくることもある。
・毒針毛が皮膚に刺さった場合、だいたい4,5時間してからかゆ~くなる。
・かいてしまうと指に毒針毛が付着してしまい、体中に被害が広がる恐れが~。
・毒針毛は、卵、幼虫、成虫にはもちろんのこと、さらにチャドクガが生息していた植物やその周辺、服に着いていたらその服にも付着する~。
・チャドクガの毒針毛が付着した衣類などを、他のものと一緒に洗濯すると毒針毛が一緒に洗った全部のものにも付いてしまうことが多々。
・チャドクガの毒針毛が付着した衣類は、3回くらい洗濯しないと毒針毛がとれないらしい。
参考文献:世田谷区 チャドクガについてのQ&A ホームページ
このように超厄介なチャドクガなんですが、不幸にもチャドクガに刺されてしまった場合、どうするか?
まずは、刺されてしまったと思われる部分を流水で洗い流し、なるべく早くお医者さんで診てもらうことをお奨めします。
特に首から上の部分がやられてしまった場合は、すぐにお医者さんに直行をお奨めします。
チャドクガの駆除と対策実施
とりあえず、早々に生垣のサザンカを徹底的に見て回り、チャドクガを発見したら、付いている部分をそっと枝ごと切ってビニール袋へ入れます。
そして、チャドクガの捕獲が終了したら、ビニール袋ごと燃やします。
また、チャドクガが発生しやすいということは、生垣のサザンカが混み混み状態で、風通しが悪くなっていることが考えられ、それが、庭木にも良くない影響を及ぼしているのでは?と思いました。
そのようなことから、チャドクガを駆除した後、生垣のサザンカの剪定と、混み混み状態の中に絡まって固まっている古い葉の始末とサザンカの根本に積もっている古い落ち葉の掃除を行いました。
そして、今度は、しっかり私がチャドクガの毒針毛にやられてしまいお医者さんに診ていただきました。
どうやら、長年放置状態だった落ち葉にチャドクガの毒針毛が付着していたようでした。
チャドクガ不在でも毒針毛の毒は顕在とは、恐るべしチャドクガです。
それでも、その甲斐あってそれ以降は、チャドクガの発生はありません。
【刺された時の対処方法について注意!】
チャドクガの毒は、たんぱく質からできていて、50℃以上の高温にさらされると無毒化されると言われています。
この無毒条件は、お医者さんの中には、ご自身のクリニックのブログでも書かれている方もおられるので、どうやら信憑性がありそうです。
そのため、ネット上では、チャドクガに刺された時の対処方法として、50℃ちょっとのお湯にスプーンを漬け、そのスプーンを幹部に当てるとかゆみが消えるというのを見かけます。
ネットで「チャドクガ 毒 スプーン」のキーワードで検索を掛ければ、出てきます。
私も刺された当時に、この方法を試してみました。
とにかく痒いので、一刻も早くこの痒みから逃れたい一心から、お医者さんが始まる夕方までは、とても待てなかったんです。
実際、50℃スプーンをやってみた感想は、アツゥ!でした。
確かに痒みは、感じなくなりましたが、果たして無毒化されたのかどうかは?です。
このことを、夕方、お医者さんに診ていただいた時に真偽のほどを訪ねてみました。
お医者さんの回答は?
チャドクガの毒が50℃以上で無毒化するかどうかはわからないが、50℃くらいのスプーンを患部に当てて痒みが収まったのは、痒みよりも熱さを感じる感覚が上回ったためだと思いますとのこと。
そして最後に、“50℃くらいのスプーンを患部に当てるのは、火傷をしてしまうリスクのほうが非常に高くなるので、止めたほうがいいですよ。” と言われました。
刺された時には、やはりお医者さんで薬を頂きましょう。
落ち葉掃除で現れた深刻な状況が発覚!
長年、積もり積もったサザンカの生垣下の落ち葉は、庭木のほとんどを覆いつくす様相でした。
最初は、落ち葉なのでそのままにしておいても、保水効果もあって良いのでは?と呑気に勝手な解釈で放置しておいたのですが、これが今回、落ち葉を掃除して深刻な状態が発覚しました。
落ち葉をきれいに掃除した後の庭木の地面を見ると、土はカタカタで根っこが見えているところも多々ありました。
そして、そのカタカタ地面を頑張って10cmほど掘ってみると、廃棄石、いわゆるガラと言われる不要になったコンクリート片や角張った石が埋められているのがゴロゴロ見つかりびっくり。
これが、庭木の元気を奪っていた元凶だと思いました。
この状況を、いつもお花でお世話になっている、まつお園芸の社長さんに相談しました。
そして、教えていただいたアドバイスは、庭木が休眠に入る2月頃に元気のない樹木の周囲を15㎝ほど掘り起こし、土壌改良材を混ぜて、春まで様子を見ましょうということになりました。
その時使った土壌改良材は、以下の記事の後半でも取り上げました。
早速、2月末に庭木のカンカンの土を掘り起こし、土壌改良材と混ぜました。
土壌改良材の効果でモミジに花が咲く
春まで様子を見て、4月中旬から今までの間に明らかに庭木に変化が見られました。
まず、モミジに初めて4月18日に花が咲きました。
ちょっとホネホネですが、これが、モミジの花です。
このモミジは、ノムラモミジと呼ばれています。
庭木や公園に使われることが多く、「春紅葉」といって、春の新葉(新芽から10日くらい)の色が暗赤色であることから、新緑の季節のアクセントにもなってきれいです。
木によって、ずっとこのままの暗赤色のものと、最初の若葉の10日間くらいは、暗赤色で、その後、緑色へと変化し、秋になると再び暗赤色か紫に近い色になって落葉するものがあるようです。
我が家のノムラモミジは、後者です。
そして、5月3日に入った現在では、種ができて、順次落ちています。
すでに、黄緑色に変化した葉っぱも見られます。
そして、下には今まで見られなかった新しい命が。
土壌改良材の甲斐があって、他にも新しい芽が次々と育ってきました。
この芽は、エビネ蘭です。
この芽は、すくすく育って5月中旬には、花を付けました。
鉢植えの木も日に日に成長しています。
一番右のモミジは、昨年はほんの30cmほどだったのが今や1m越えです。
その左横の2つは、サンザシの木で、実が実ったら漢方に使おうと思っています。
この右の木は、紙の原料になるコウゾの木です。
左は、ただいまお休みモードのシクラメンです。
庭木の他にも、冬場に枯れかけていたモンステラの2鉢も復活しました。
これは、一番若い株。
こちらは、一番古い株。
一番古い株は、初めて葉っぱに立派な切れ目が出ました。
そして、中堅どころのもう一つのモンステラも健在です。
この調子で新芽がどんどん出てくると、また株分けしないといけないかも?
妻の学校から昨年末に瀕死の状態で我が家にやってきた、フィロデンドロン・セロームも元気になりました。
セロームを飾ると、風水的には、活力が上がり、発想が自由に柔軟になると言われていますので、前厄のわたしにとってピッタリ。
上のほうの葉っぱのほうは、日に当たりすぎて日焼けをさせてしまったため、色が少し黄緑色になってしまいましたが、新芽も出てきて今夏の成長が楽しみです。
まとめ
紆余曲折を経て、6年目にしてやっと我が家の庭木の環境が循環するようになりました。
今回、花が咲いたノムラモミジも結構、年のようで幹の上のほうに穴が開いています。
それでも、がんばってたくさんの春紅葉を楽しませてくれています。
そして、その袂には、小さなノムラモミジの新芽が誕生しています。
モンステラも冬場の古い株と新しい株は、本当にもうだめかなぁ?と思うくらい弱り果てていたのですが、今のツヤツヤした大きな新葉の姿を見て本当にうれしいですね。
植物は、諦めずに手を尽くせば、立派な姿を春には見せてくれます。
息子の子育てと同じように思います。
どちらも、“育てる”のではなく、その過程における新たな気づきの中で、“共に育つ”という感じですかね。
生きていることに感謝!