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昨日久しぶりに、息子を散髪に連れて行ったボイジャーです。
この新型コロナ禍で、12月から今までは、私がチョキチョキ散髪していました。
息子は、今日も朝から元気に幼稚園に走って出かけていきました。
本当にうれしそうです。
息子が生まれてから、我が家の0歳児保育プランは?
我が家は、息子を授かったとわかった時は、私も妻も教職員で、お互いに好きな職業ということもあり、子どもが生まれてからどのようにするか?結構、悩みました。
正直、有名私立の中高で自分の得意分野の情報科勤務であったことや、何より最新の情報インフラを授業に導入し、新しい学び環境で斬新な学びスタイルをグローバル規模で創造できる仕事環境は魅力的でしたし。。。
とりあえず、妻の産前・産後休暇の期間(出産前8週間、出産後8週間)は、妻が育児で私が仕事とという形に自動的になるかと思うのですが、その後、妻は息子が幼稚園に入るまでは、自分の手元で息子を育て、幼稚園入園後は、復職をしたいとの希望でした。
幼稚園入園以降の我が家の選択肢としては、3つありました。
1.妻の希望通り、妻が復職し、私が専業で子育てをする。
2.妻も私もこれまでどおり働き、息子は幼稚園ではなく、保育園にする。
(※幼稚園は、午前中保育の期間があったり、朝の始まりが8時半で終わりが14時なので、時間的にフルタイムの仕事をしながらの就園は事実上無理でした)
3.妻は専業主婦&子育てを担当し、私はこれまで通り仕事をする。
いろいろ、妻ともぶつかり合いながら結論が出るまで、息子の誕生後半年間かかりました。
結局、職業の安定性、経済性、私の年齢も考えると1案かな?というところで、1案に決定しました。
基本的に、私と妻が子育てについて共通している考え方は、子どもは、幼稚園に入るまでは、手元で育て、その後、子どもが成人するまでは、子どもが返ってくる場所には、どちらかの親がいるようにするというところ。
私も妻も職業柄、これまで多くの児童、生徒とその親ごさんとの出会いがあったわけですが、やっぱり、子どもが自宅に戻ってきて、そこに誰もいないという環境は良くないケースが多いような気がします。
まぁ当然、子どもも、一人ひとりユニークな個性の持ち主なので、あくまで確率論的な話です。
私の息子の場合、3歳児検診等で発達障害とかはなかったのですが、少し手のかかるところがある子なので、このような選択をしました。
0歳児保育という選択可否と3歳児神話について?
子どもが生まれ幼稚園に入る3歳までは、自分の手元で育てたいと思うのは、ごくあたりまえの親の感情だと思います。
やっぱり、可愛いですからね。
とは言え、ほとんどの場合、生活していく為や仕事もやっぱり自分にとって大切など、様々な理由で0歳児保育を申し込まれる方が少なくありません。
また、1歳や2歳までは自分の手元で育てて、その後は、保育園に預けたいと思っても、0歳児保育の持ち上がりの子どもがいるので、1歳や2歳から入園できる人数枠がない場合も多いという理由から、やむをえず0歳時保育を申し込むという話もよく耳にします。
このように、本当は手元において育てたいと思いつつも、0歳児保育という選択をせざるをえない場合は、親のほうがある種の罪悪感を感じ、わが子の成長に関する不安を抱き悩むということもあるかもしれません。
私の場合も、0歳から保育園に預けるという選択を考えると、無条件に“子どもが寂しい思いをしているのではないだろうか?”とか“親との絆ができないのではないだろうか?”とかいろいろな杞憂がこんこんと湧いてくるわけです。
私は、本を読むのが好きなんですが、1年半ほど前に出版された、ボーク重子さんの『「非認知能力」の育て方』という本を読みました。
非認知能力は、これから子育てをする重要キーワードですから、この文字を本屋さんの新刊で見るとビビッと反応してしまいます。(笑)
この本の第3章「対話する 親子の対話がコミュニケーション能力を伸ばす」という所なんですが、一見、“やっぱり親子の対話が一番なんだ!”という印象を受ける章タイトルですが、その内容を見て愕然としました。
その内容は、シカゴ大学のダナ・サスキンド教授の研究例が掲載されていました。
その研究例は、1990年代にアメリカで社会学者のベティ・ハートと大学の教官だったトッド・リズリーの研究結果「3000万語の格差」をベースにしています。
「3000万語の格差」とは、
社会経済レベルの高い家庭では、子どもが3歳になるまでに平均4500万語の言葉を聞くのに対し、生活保護を受けている貧困家庭では、平均1300万語の言葉しか聞きませんでした。
貧困家庭と社会経済レベルの高い家庭では約3000万語の差があったのです。
また、3歳時点での子どもの語彙数を調べてみると、高い社会経済レベルの家庭の子どもが平均1116語話すのに対して、貧困家庭の子どもは平均525語しか話しませんでした。3歳時点と、その後のIQテストの点数にも、大きな差が出ていました。
さらに、その後に行われた調査によると、3歳までに聞いていた言葉の量が、9歳時点の言語レベルや学校のテキストの点数と相関していたのです。
引用元:ボーグ重子『「非認知能力」の育て方』p70、71、小学館
この研究から、さらに研究を進めたダナ・サスキンド教授は、この研究の重要ポイントとして、子どもの能力差は、親の経済力の優劣で決まるものではなく、まだ、親と言葉でコミュニケーションをとることがままならない3歳未満の子どもに対しても、本の読み聞かせや声かけをまめにしていたか?、「言葉の発達が子どもの脳の発達をうながす」ということを何となくでも知っていたか?というところにあるとしました。
このような内容を目の当たりにして、益々、やっぱり3歳までは、自分の手元において、声かけや読み聞かせをしないと子どもの将来に差がでてしまう!!!
と思ってしまいましたが、大どんでん返しがありました。
それは、最近出版された立命館アジア太平洋大学の学長をされている出口治明先生の『「教える」ということ』を読んだ時のこと。
元教職員ということもあり、この手の題名の本には、つい目が行ってしまいます。(笑)
出口先生の本で直近読んだ本は、「哲学と宗教全史」という少しぶ厚めの有名なベストセラー本があるのですが、今回のテーマとはあまり関係がないのですが、実によかったです。
その内容は、またの機会ということで・・・。
さて、今回のテーマの解が『「教える」ということ』の72ページから書かれています。
ズバリ!
「3歳児神話」は「3歳児デマ」
引用元:出口治明『「教える」ということ』p72、角川書店
と言い切っています。
その根拠は、
京都大学の総長かつゴリラの研究でも有名な山極壽一教授が、人間は太古のホモ・サピエンスの時代から共同保育を必然としてきたということで、本書でも
ホモ・サピエンスは集団保育が原理原則
引用元:出口治明『「教える」ということ』p74、角川書店
の一節で説明しています。
そして、出口先生は、本書で“子どもを保育所に預けることは正しい”と言われています。
また、厚生白書(平成10年版)においても、以下の通り明確に記されています。
1-5 三歳児神話には,少なくとも合理的な根拠は認められない。
三歳児神話というのは本当だろうか。三歳児神話とは「子どもは三歳までは,常時家庭において母親の手で育てないと,子どものその後の成長に悪影響を及ぼす」というものである。
三歳児神話は,欧米における母子研究などの影響を受け,いわゆる「母性」役割が強調される中で,育児書などでも強調され,1960年代に広まったといわれる。
そして,「母親は子育てに専念するもの,すべきもの,少なくとも,せめて三歳ぐらいまでは母親は自らの手で子どもを育てることに専念すべきである」ことが強調され続けた。
その影響は絶大で,1992(平成4)年に行われた調査結果においても,9割近い既婚女性が「少なくとも子供が小さいうちは,母親は仕事をもたず家にいるのが望ましい」とい
う考えに賛成している。
しかし,これまで述べてきたように,母親が育児に専念することは歴史的に見て普遍的なものでもないし,たいていの育児は父親(男性)によっても遂行可能である。
また,母親と子どもの過度の密着はむしろ弊害を生んでいる,との指摘も強い。
欧米の研究でも,母子関係のみの強調は見直され,父親やその他の育児者などの役割にも目が向けられている。三歳児神話には,少なくとも合理的な根拠は認められない。
1-6 大切なのは,子どもに注がれる愛情の質である。
もちろん,乳幼児期という人生の初期段階は,人間(他者)に対する基本的信頼感を形成する大事な時期であり,特定の者との間に「愛着」関係が発達することは大切である。
しかし,この基本的信頼感は,乳幼児期に母親が常に子どもの側にいなければ形成されないというものではない。愛情をもって子育てする者の存在が必要なのであって,それは母親以外の者であることもあり得るし,母親を含む複数人であっても問題視すべきものではない。
両親が親として子育て責任を果たしていく中で,保育所や地域社会などの支えも受けながら,多くの手と愛情の中で子どもを育むことができれば,それは母親が一人で孤立感の中で子育てするよりも子どもの健全発達にとって望ましい,ともいえよう。
大切なのは育児者によって注がれる愛情の質なのである。
引用元:厚生白書(平成10年版)
まとめ
以上のように、研究者も国も3歳児神話は、絶対的なものではないという見解が有力で、0歳から親と離れて保育する形態のみで、子どもの発達に影響するか否かということは言及できないようです。
基本的には、私もそうなんだなぁと思うのですが、注意する点もあると思うんです。
それは、保育所あるいは、幼稚園と息子の関りについて、相性もあると思いますが、そこのところの事前見極めが難しいというところ。
もっとも、こどものわがままでの好き嫌いは論外です。
実際、私の息子も2歳半からモンテッソーリ教育を実践しているという幼稚園に入園しました。
その幼稚園では幼児との接し方が、先生の言ったことを正確に時間内にやりきるということの繰り返しでした。
また、どの幼児にも失敗した時は先生から”バツ”と大きくバッテンのリアクション付きで言われます。
このような幼児との接し方が、息子には合わなかったようで、最初の参観日でも、終始無関心で表情が薄い状態が見られました。
息子から幼稚園について色々聞いたうえで、妻とも相談し自治体の社会福祉課でも色々相談に乗ってもらった末、幼稚園を転園することにしました。
移った先の幼稚園は、とても伸び伸びとした環境で、息子も元気いっぱい笑顔で毎日通っています。
前の幼稚園には、半年間、週1日のお試し保育をしてからの入園でしたが、お試しの時は、バツのリアクションもなく担任の先生も優しい良い先生という印象だったのですが、わからないものです。
ということで、いくら事前リサーチして良かれと思って決めた保育園・幼稚園でも、予想外のこともあると思います。
0歳児保育で保育園に預ける場合でも、事前リサーチをしっかりして決めたのだから大丈夫で入園後は任せっきりではなく、しっかり毎日子どもの様子と変化を見ることが大切だと思います。